サルサ野郎は考えた

Bike(ジテンシャ)のコトばっかり。主にMTBとグラベルとバイクパッキングね

ステキな参加賞とどん引きする彼女

かなり前だったので、どの耐久レースだったのか忘れてしまいましたが、
参加賞はコレだったんです。

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おわかりでしょうか?
あるパーツを真後ろから撮ってみたものです。

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うーーん、なんとスムーズな面でしょう。計算されたラインと精巧な造形の美しさの集大成といってもよい芸術品であります。



そう、それはなんと

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泣く子も黙るRingleです。


スキュワーや、ステム、そして超スムーズな回転のハブなど、当時のアメリカンパーツ絶頂期の中で
最も牽引していったブランドの一つです。
たしか、このステムも定価は20,000円くらいだったかな。
当時、学生だった私は、彼女に「クリスマスプレゼントは何が欲しい?」と聞かれ
「あの、紫のステムがいい」(もちろんRingle)と言ってしまった記憶があります。
当然のように、ドン引きされてしまい実際にはセーターか何かをもらったのですが、
洋服とか財布とかよりもアメリカンなかほりのするステムが欲しい少年だったのであります。

そんなRingleのブランディングの高さが、ハンパではない時代でしたので
この参加賞をもらった瞬間、
「ちょ!、すげっ!リングルじゃん!」と、参加メンバーの驚きと喜びの声があがりましたよ!

と、思いきや、
数秒後のことでした。




「げっ」 「使えねーーー」の声が!!







な、な、なんと!!!





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がーーーーーん!
アヘッドではないのだよ。明智君!





私が初めてMTBを買った1993年は、アヘッドが出始めたばかりの頃。
当時、MANITOU2で組んだMy 1st Bikeは、まだノーマルなステムでしたが、
アヘッドが流行り始めてすぐにコラム管のみ交換してアヘッドに組み直したもんです。
(あー、なちかしー)

たしか、この参加賞をもらったのは、1995,6年くらいだと思いますが、その頃にはアヘッドはかなり浸透しており、レースに出てくるような人たちでは7割以上はアヘッドユーザーでした。
いまさらノーマルに戻すこともできないですよね。

(しかし、この喜びのような悲しみのようなものはまだ続く!)

別の参加者から雄叫びが!!




「おおおおおっっっっっ!!」





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これも、マニア垂涎の銘品
ANSWER ATACステムですぞーーー!
この限りなく無骨すぎる溶接痕を見ると興奮が今でもよみがえります。

ターコイズのYETI FROに、ACCU trax forkとHYPER LITEのハンドルバーがあれば、どんぶり飯5杯クラス級ですよ!



しかーし、こいつもRingleと同じく




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はい、ノーマルステムちゃんでした。
しかも怒濤の135mmだよ~ん!   長!



というわけで、各メンバーがポイしそうだったので、私が回収。
その結果、集まったのは

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RIngle (120mm 0度)2本
ANSWER (135mm 0度)2本の合計4本

完全未使用のまま、10数年もの間、物置に眠っていたのを引っ張りだしてみました。

そんな懐かしい思い出をよみがえらせてくれるパーツたちです。
これからも、長い間眠ることでしょう。
それとも、自分がもっと余裕でた時にVintageなBikeを作りましょうかねー。

ではでは、また何かありましたら。。。。


つづく(かもしんない)